※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です
八月のある日、僕はインターホンを押した。築四十年ほどの団地の一室。返事があるまで、少し時間がかかる。ドアが開くと、小柄なおばあさんが立っていた。仮に、ハルさんと呼ぶ。
「あら、来てくれたの。暑かったでしょう」
ハルさんは僕の顔を見て、ほっとしたように笑った。エアコンの効いた部屋に通されると、仏壇の前に座布団が二枚、きちんと並べてあった。一枚は自分の分。もう一枚は、僕のために朝から用意してくれていたのだという。

その座布団を見たとき、胸の奥がきゅっと締まった。僕がここに来なければ、この座布団はずっと空のままだった。お盆に誰も来ない家。仏壇に手を合わせる人が、自分一人しかいない家。そういう家が、この国にはどれだけあるのだろう。
線香の煙と、止まった時計
ハルさんの部屋には、壁掛け時計が三つあった。そのうち二つは止まっている。「電池を替えるのが面倒でね」と笑うけれど、たぶんそれだけじゃない。時間の流れを正確に知る必要がなくなった生活。朝も昼も夜も、話し相手がいなければ区切りがない。テレビだけがずっとついている。
僕はハルさんの隣に座り、一緒に線香を上げた。ご主人の遺影。穏やかな笑顔の男性だった。「この人、生きてたら何て言うかしらね。知らない男が家に上がり込んでるって、怒るかしら」。ハルさんはそう言って、くすくす笑った。
僕たちのサービスでは、高齢者の見守りとして定期的に訪問する依頼がある。ただ安否を確認するだけじゃない。一緒にお茶を飲む。話を聞く。仏壇に手を合わせる。そういう、家族がやるはずだったことを代わりにやる。お盆の時期は特に依頼が増える。帰省する家族がいない高齢者。子供はいるけれど、関係が途絶えている高齢者。理由はさまざまだけれど、共通しているのは「お盆に一人は寂しい」という、あまりにもシンプルな気持ちだ。

「孫のふりをしてほしい」と言われて
別の依頼では、八十代の男性——仮にタケオさんとしよう——から、こう言われた。「孫のふりをしてくれんか」。タケオさんには実の孫がいる。でも、もう何年も会っていない。息子夫婦と折り合いが悪くなり、孫の連絡先も知らない。
僕より若いスタッフが孫役として訪問した。タケオさんは嬉しそうに、冷蔵庫からスイカを出してきた。二人分、きれいに切ってあった。やっぱり、事前に準備してくれていたのだ。
スタッフが帰った後、タケオさんから事務所に電話があった。「ありがとう。楽しかった」。それだけ言って、電話は切れた。短い言葉の中に、どれだけの感情が詰まっていたか。僕はそれを想像して、しばらく受話器を持ったまま動けなかった。
人は誰かのために何かを用意するとき、生きている実感を取り戻すのかもしれない。スイカを切る。座布団を並べる。お茶を淹れる。その小さな行為が、一日に意味を与える。来てくれる誰かがいるというだけで、朝起きる理由ができる。
本物の家族は、なぜ来ないのか
こういう話をすると、必ず聞かれる。「本物の家族はどうしたんですか?」と。
答えは一つじゃない。仕事が忙しくて帰省できない人がいる。親と絶縁している人がいる。介護に疲れて距離を置いた人がいる。海外に住んでいて物理的に無理な人もいる。そして、「親がレンタル家族を頼んでいる」ことすら知らない家族もいる。
僕は本物の家族を責める気にはなれない。家族というのは、愛情だけで成り立つものじゃない。歴史がある。傷がある。どうしても許せない一言がある。関係を修復したくても、もう遅いと感じている。そういう複雑な事情が絡み合って、お盆に実家に帰らないという選択が生まれる。
でも、残された側はただ待っている。電話が鳴るのを待っている。インターホンが鳴るのを待っている。そして、鳴らないまま、お盆が終わる。
僕たちがやっているのは、その「鳴らないインターホン」を鳴らすことだ。本物の家族の代わりにはなれない。でも、インターホンは鳴る。ドアは開く。「いらっしゃい」と言える相手がいる。それだけで、八月の三日間が変わる。
八月の日本が抱えているもの
厚生労働省の調査によれば、六十五歳以上の一人暮らし世帯は増え続けている。お盆や正月に誰とも会話しない高齢者の数を正確に把握した統計は、たぶん存在しない。数字にならない孤独がある。
僕たちの事務所には、お盆前になると問い合わせが急に増える。本人からの依頼もあれば、離れて暮らす子供からの依頼もある。「自分は行けないから、代わりに顔を出してほしい」。その依頼を受けるたびに、僕は複雑な気持ちになる。行けないのか、行かないのか。その境界線は、外からはわからない。
でも僕が判断することじゃない。目の前にいる高齢者が笑ってくれるなら、それでいい。ハルさんが「来てくれたの」と言ってくれるなら、僕がここにいる意味はある。
社会制度や地域コミュニティが充実していれば、僕たちのサービスは必要ないのかもしれない。でも現実は違う。団地の隣の部屋に誰が住んでいるか知らない時代。回覧板すらなくなった地域。民生委員の訪問を断る高齢者。そういう隙間に、僕たちは入っていく。隙間産業と言われたら、そうかもしれない。でも、隙間にいる人を放っておけない。
演じることと、寄り添うこと
正直に言えば、高齢者の見守り訪問のとき、僕はあまり「演じている」という感覚がない。父親代行や夫代行のときは、設定がある。名前、職業、馴れ初め、子供の誕生日。覚えることが山ほどある。間違えたら終わりだという緊張感がある。
でも高齢者の見守りは違う。求められているのは、役ではなく、存在そのものだ。ただそこにいること。話を聞くこと。「うん、うん」と頷くこと。時には一緒に黙っていること。仏壇の前で手を合わせること。
ハルさんは僕に、ご主人との思い出話を何度も繰り返した。同じ話を三回、四回。僕はそのたびに初めて聞いたような顔で聞いた。それは演技だったのか。わからない。でも、ハルさんが話したいなら、僕は何度でも聞く。そこに嘘はない。
感情が本物なら、それは本物だ。僕はそう思っている。ハルさんが僕の訪問を心待ちにしてくれている気持ちは本物だし、僕がハルさんの笑顔を見てほっとする気持ちも本物だ。契約書の上では「サービス提供者」と「依頼者」でも、座布団の上では、ただの二人の人間だ。
帰り際に言われた一言
訪問の終わり、玄関で靴を履いていると、ハルさんが小さな紙袋を差し出した。中にはお菓子が入っていた。「お盆だからね、お供え物のおすそ分け」。
僕は受け取った。断るほうが不自然だから、というのもある。でもそれ以上に、ハルさんが「誰かに何かをあげる」という行為をしたかったのだと感じたからだ。
ドアが閉まる直前、ハルさんが言った。
「また来てね。次は、お彼岸かしら」
僕は「また来ますよ」と答えた。団地の階段を降りながら、紙袋の中のお菓子の重みを感じていた。軽い。たぶん、おせんべいが二、三枚。でも、その軽さがやけに重かった。
外に出ると、八月の日差しが容赦なく照りつけていた。セミが鳴いていた。振り返ると、三階の窓からハルさんがこちらを見ていた。小さく手を振っている。僕も手を振り返した。
本当はこんなサービスはないほうがいい。お盆に家族が来て、一緒に仏壇に手を合わせて、スイカを食べて、「また来るね」と言って帰っていく。それが当たり前の風景であってほしい。でも、その風景が失われた家に、僕は明日も行く。空の座布団を、埋めるために。
「一人でいることと、孤独であることは違う。でも、誰かがそばにいるだけで救われることがある」
— 石井裕一