※プライバシー保護のため、依頼者の名前は全て仮名です
十一月の日曜日、僕は公園のベンチに座っていた。隣には小学三年生の男の子。仮に翔太くんとする。翔太くんは膝の上に乗せたどんぐりを一つずつ並べながら、突然こう言った。「お父さんは踏み台になってくれる?」
高い木の枝にぶら下がっているビニール袋を取りたいらしい。僕はベンチから降りて、木の根元にしゃがんだ。翔太くんが僕の肩に乗り、小さな手を伸ばし、ビニール袋をつかんだ。「取れた!」と叫んだその声は、秋の空にまっすぐ抜けていった。

踏み台。その言葉が、妙に胸に残った。僕がやっていることは、つまるところそういうことなのかもしれない。誰かが何かに手を伸ばすとき、足元にいること。届いたら、もう用はない。それでいい。いや、それがいい。
この仕事を何年も続けてきて、僕がたどり着いたのは「踏み台でいい」という、ある種の覚悟だった。
消えることが成功である仕事
普通の仕事は、自分の存在感を示すことが成果になる。営業なら契約を取る。クリエイターなら作品を残す。だけど僕らの仕事は違う。僕らが消えることが、成功なのだ。
結婚式の代理出席を例に挙げよう。新婦側の友人が極端に少ないという依頼は珍しくない。仮に美咲さんとする。美咲さんは職場の転勤が重なり、地元の友人とも疎遠になっていた。「友人席が埋まらないと、相手の親族にどう思われるか」。その不安だけで、夜眠れなくなったという。

僕らのスタッフ四人が友人役として出席した。事前に美咲さんとの「思い出」を共有し、スピーチの段取りも決めた。披露宴が終わったあと、美咲さんは泣きながらこう言った。「これで、普通のスタートが切れます」
普通のスタート。その言葉の重みがわかるだろうか。彼女にとって結婚式は、新しい人間関係のゼロ地点だった。僕らはそのゼロ地点をつくるために存在し、式が終わった瞬間に役目を終える。写真には映っているけれど、もう二度と会うことはない。新郎側の親族は、あの友人たちが「本物」かどうか永遠に知らない。
消えることでしか証明できない成功がある。矛盾しているようだけど、僕はこれを誇りに思っている。
叱ってくれる人がいない社会
十一月になると、依頼が増える傾向がある。年末が近づくと人は「今年も一人だった」と振り返る。忘年会のシーズンに誰からも誘われない孤独。クリスマスや年末年始を一人で過ごす恐怖。そういった感情が、十一月あたりから静かに膨らみ始める。
最近、印象に残った依頼がある。五十代の男性、仮に田中さんとしよう。田中さんの依頼内容は「叱ってほしい」だった。
田中さんは管理職で、部下には指示を出す立場だ。だが自分を叱ってくれる人間が、人生のどこにもいないという。両親は他界し、妻とは離婚し、友人とも年賀状だけの関係になった。「間違っていても誰も止めてくれない。それが一番怖いんです」と、田中さんは言った。
僕は田中さんの「上司」として月に一度会い、近況を聞き、時に厳しいことを言う。「その判断は甘いんじゃないですか」「部下の話、本当に聞いてますか」。田中さんは毎回、少し悔しそうな顔をして、でも最後には「ありがとうございます」と頭を下げる。
叱るという行為は、相手の未来を信じていないとできない。どうでもいい人間を叱る人はいない。田中さんが求めていたのは、怒鳴られることではなく、「自分の未来を信じてくれる誰か」だったのだと思う。それをレンタルで補わなければならない社会とは何なのか。僕はいつもそこで立ち止まる。
本物の感情は誰のものか
「それって本物の感情なの?」と聞かれることがある。僕自身、何度も自問してきた。
二十三の家族で父親を務め、三十五人以上の子供たちの誕生日を覚えている。運動会では間違った名前を呼ばないように神経を張り詰める。受験に合格した子から「お父さん、受かったよ!」と電話がかかってくる。そのとき僕の胸に湧き上がる感情は、嘘だろうか。
答えはわからない。でも一つだけ確かなことがある。あの子が電話口で泣いていたとき、僕の目も濡れていた。それが「演技」だと言い切れる人がいるなら、感情とは何かを教えてほしい。
血のつながりがあれば本物の家族か。婚姻届を出せば本物の夫婦か。そんな単純な話ではないと、僕は現場で何百回も思い知らされてきた。形式が本物を保証してくれた時代は、もうとっくに終わっている。
感情が本物なら、それは本物だ。僕はそう信じている。信じていないと、この仕事は続けられない。
孤独は自己責任ではない
「孤独な人は自業自得だ」という声を聞くことがある。コミュニケーション能力が低いから。努力が足りないから。自分から人に関わろうとしないから。そう切り捨てるのは簡単だ。
でも現場を見ていると、そうではないケースが圧倒的に多い。介護で十年間外出できなかった人がいる。幼少期の虐待で人を信じられなくなった人がいる。転勤のたびに人間関係がリセットされ、気がつけば五十歳になっていた人がいる。誰も怠けていたわけではない。人生のどこかでボタンを掛け違えただけだ。
高齢者の見守り代行という依頼がある。離れて暮らす親のもとに、僕らのスタッフが定期的に訪問する。「息子さんの代わりに来ました」ではなく、「近くに住んでいる者です」という体で。お茶を飲み、テレビの話をし、薬をちゃんと飲んでいるか確認する。本当の息子は海外で働いていて、帰国できるのは年に一度だけ。その息子もまた、孤独を抱えている。
孤独は個人の問題ではなく、社会の構造が生んだ副産物だ。僕らのサービスが必要とされること自体が、社会の歪みの証拠でもある。本当はこんなサービスはないほうがいい。でも、必要としている人がいる限り、僕は続ける。
依存と自立のあいだで
僕が最も恐れていることがある。それは、依頼者が僕らに依存してしまうことだ。
六百人以上の女性の「夫」を務めてきた。中には何年も依頼を続けている方がいる。毎月二回、夫婦として食事をし、買い物に付き合い、時には家族行事にも参加する。ある依頼者の母親から「本当にうちの娘と結婚してくれませんか」とプロポーズされたことも、一度や二度ではない。
そのたびに僕は苦しくなる。僕は踏み台であるべきなのに、踏み台そのものが目的地になってしまっている。それは僕の失敗だ。
だから僕は依頼者にこう伝えるようにしている。「僕に依存してほしくない。僕を使って、本当の人間関係を築いてほしい」と。結婚式の代理出席がきっかけで本物の友人を作れた人がいる。父親代行を経て、実の父親と和解した人もいる。彼らは僕という踏み台を蹴って、自分の足で高いところに手を伸ばした。
でも、蹴れない人もいる。踏み台から降りられない人もいる。その人たちを僕はどうすればいいのか。正直に言えば、答えはまだ出ていない。ただ、足元にいることだけはやめない。それが今の僕にできる精一杯だ。
十一月の公園で
あの日、翔太くんは木の枝からビニール袋を取ったあと、中身をのぞいて「なんだ、空っぽだ」と笑った。僕も笑った。何かを手に入れるために伸ばした手が、空を掴むこともある。でも、手を伸ばしたという事実は消えない。
十一月の風は少し冷たかった。翔太くんは僕の手を握って、公園の出口まで歩いた。その手のぬくもりは本物だった。少なくとも、あの瞬間は。
僕はいつか、翔太くんの人生から消える。消えなければならない。彼が本当の父親と向き合う日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。それは僕には決められない。
ただ、彼がいつか誰かに手を伸ばすとき、「昔、肩を貸してくれた人がいたな」とぼんやり思い出してくれたら、それで十分だ。名前なんか覚えていなくていい。顔も忘れていい。
踏み台は、踏まれた跡だけ残ればいい。
「本当はこんなサービスはないほうがいい。でも、必要としている人がいる限り、続ける」
— 石井裕一